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親の会のオタカラ

これは、「親の会」の中で学んだ大切な子どもと向き合う時の"鍵"となるもので、私たちのたからものです。

1. 登校拒否とは何か
 私たちは頭で「こうしよう」と思えば、心やからだはついてきます。
子どもたちが、「学校に行きたい」と思っても行けない状態が「登校拒否」です。
 人間は、頭・心・からだの三層が重なっていて、心に苦しみがある子どもは、頭で「学校に行こう」と思っても心が伝える力を失っているから、からだは動かないのです。
 多くの場合、「行こう」と思っても頭痛や腹痛、吐き気があったり、全身が金縛りに合ったようで動き出せないのです。動けるようになるまで、心とからだを家庭でゆっくり休ませることが必要です。


2. ヘルプ
 登校拒否は子どもが助けを求めた姿です。助けを求めるのは子どもの権利なのです。
 でもそれには勇気が要ります。だから、「よく言ってくれたね」と受け止めてあげましょう。


3. 原因を捜さない、聞かない
 親はわが子が学校へ行けなくなった原因を知りたいものです。原因がわかり、それを取り除けば、あるいは、その原因になっている部分を鍛えれば学校に行けるのではないかと考えます。原因がわかっても登校拒否は解決出来ないのです。また原因は子どもが説明できるほど単純なものではありません。子どもがいろいろなことから自分を守ろうとしたのが、登校拒否だと考えています。「どうして学校にいけないの」と問い詰められると、子どもは自分でもどうしてこうなるのかわからず、こんな自分は「おかしい」と感じて罪悪感を持ち、自己否定に陥ります。


4. 今の学校の状態
 学校は、子どもたちの発達と学習にとって、最善の利益になる方向で判断するのが原則です。「学校が怖い」と言う子どもがいます。
 学校は、子どもたち一人ひとりのつまずきや立ち止まったりするプロセスを大事にすることが出来にくくなって学力ばかりが重要視されがちです。せんせいは多忙だし、子どもは先生とゆっくりとお話しすることも難しい状況になっています。学校は子どもたちの心を捉えきれないで、子どもたちにとってすごく辛い場所になっています。
 評価は子どもを励ますものではなく、子どもを脅かす道具にさえなっています。そして先生たちも多くの悩みを抱えています。


5.本音で語る
 学びの場で「私はやっぱり世間体が気になって、焦ってしまうのです」「早く学校に行ってくれたら・・・」と本音が言えるようになると、子どもを受け入れる余力が出てきます。そんな親本位の感情を出した時、「私もそうだった」と受け入れてくれる人間関係があれば親は変われるのです。
 「立派な親でなければならない」と思うと、自分の弱さやだらしなさを隠したくなります。親は若かった頃の悩みや恥ずかしかったことなどを子どもに話すことも必要だと思います。


6.「子どものため」と言うけれど
 人間は一般的に不安から早く逃れたい、落ち着きたい、安心したいという気持を持っています。そして多くの人は世間体や常識に縛られていて、「子どものため」と言いつつ、実はわが身を守ることをしています。


7. 防波堤になる
 子どもが登校拒否をしていると、親は近所に買い物に出かけるのも辛く、誰かに会ってわが子のことが話題になったらどうしようという気持になります。子どもはもっと辛く、"ダメな人間"のような眼差しを親戚や周囲から受けます。周りからの心無い言葉や視線を親は防波堤となって食い止め、子どもを守らなければなりません。


8. 善意の助言
 登校拒否をしているわが子のことを心配してくれて、周囲にいる人たちはあれこれ助言してくれます。しかし、登校拒否を理解しないところの善意は怖いものです。善意であっても、今までの子育てやしつけ論などからの助言は親を迷わせ、子どもを振り回すことになります。


9.家族、親族との対応
 多くの場合、母親が子どもの最良の伴走者です。その母親を父親は支えることが必要です。子どもを責めるような気持や態度とか、何かしてやろう、言ってやろうではなく、ただ、子どもを理解しようとする心で傍にいてやるのが一番大事です。
 学校に行っているきょうだいには特別の時間を作って、日頃かまってやれない寂しさを配慮する必要があります。
 祖父母に理解してもらうのは、とても困難だと覚悟しておくことです。父親の両親の場合は父親が話していきます。嫁と舅ではこじれることがあるからです。子どもを守るためには、祖父母や父親との別居も止むを得ない場合も出てきます。
 子どもの状態によっては、正月など親戚の人たちと会うことを無理強いさせないことです。


10.父親は
 父親が「人生というものは辛いときには、立ち止まっていいんだよ」と、子どもに話すことが出来れば、それ以上傷を深めず、自分の将来を考えることが出来ます。父親が苛立てば母親の不安は強まって、子どもはますます落ち込むという悪循環になります。
 父親は競争の厳しい社会に生きていて、「(競争できない)子どもは将来ダメになるのではないか」と思うのです。「父親としてこんなにがんばっているのがわからないのか」という感情があります。
 又、父親は子どもの話を聞こうとはせず、何かビシッと子どものためになることを言ってやろうという気持になりながちです。「あれは、ダメだ。これは、ダメだ」という言葉が子どもの存在を否定していることに、気がつきません。


11.男の子の性
 男の子は、自分の身体の変化をどのように理解したらいいのかわからないのです。昔は悪ガキのいろんな話を聞きながら学んでいました。今はそれがほとんどありません。「僕だけが異常じゃないか」と、思春期の男の子たちは思っています。
 この問題を克服していく上で大事なのは同性の友だちです。その仲間から「俺もここが気になってよぉ」と言い合えた時、自分の変化を受け入れることが出来るようになります。
 こういう時こそ、父親の「俺も昔、気になったことがあるんだよ」という一言で子どもはほっとするのです。


12.人間不信
 登校拒否の子どもたちに共通してあるのが人間不信です。「誰も私のことをわかってくれない」「誰も私の問題を受け止めてくれない」と感じています。「この人だけは信じることが出来る」と思えたとき、子どもは信頼できる人間関係の回復が可能になってきます。多くの場合、それはまず親です。


13.存在不安
 自分が一体何者なのか、何をしたいのか、わからないのです。人の目を気にし、人から言われて動いている自分しか感じない。気がついてみると「結局私には何もない」という空虚感を味わう。一歩家から出て他人の視線を感じると、人の評価に応える自分を演じてしまうのです。
 親や周りの大人は、「今のままでいいんだよ」ということを実感出来るように関わっていくことが大事です。


14.良い子
 現在の社会では、「大人の言うことを良く聞いて、親や大人に迷惑をかけない子」が「良い子」になっています。子どもだったらもっと甘えたり、泣いたり、ぐずったりします。子ども時代を子どもとして過ごさなければ大人になれない、ということが「良い子」の問題を話していると出てきます。
 人の目に応えるような「良い子」で育ってきた自分を一度崩して、新しい自分自身をつくらなければいけません。そのとき他人からは「おかしい」と言われるような言動があるでしょうが、親が防波堤になって子どもを安心させ守らなければなりません。


15.過食、拒食
 過食は必要だからやっているんだと理解することです。過食をするのは、「もうこれ以上良い子でいられない」と身体で示しているのです。だから子どもが何歳であってもお母さんにうんと甘えられ、そして嫌なことは「嫌」と言えるようになることが大切です。
 拒食的状態になった時、親が物を食べさせて栄養を取らせようとすると子どもを否定することになります。「この子は異常」と見ていると、親子の関係は良くなりません。
 摂食障害は子どもが自分自身を受け入れた時、治ると言われています。それは自分の弱さや情けなさ、醜さなどを「これも自分なんだ」と見ることが出来るようになることです。


16.行動には意味がある。(昼夜逆転など)
 子どもの行動には全て意味があるので、否定する言葉はかけないように注意します。例えば、昼夜逆転にもわけがあって、子どもは必要だからしているのです。昼間起きていると人が訪ねて来たり、電話がかかったりするため、緊張して耐えられないのです。夜だけが安心出来る時間です。静かな夜は自分のことを考えられます。朝は寝ていた方が苦しみから逃れられるからです。
 子どもが荒れるのは、学校に行けない自分を責めて、なんともしょうのない苛立ちがあったり、親や周囲の目が学校に行っていない自分を「おかしい」というまなざしで見ている時です。物に当たったり、家族との接触を避けるのは、"うさん臭い"ものをみるように、見つめられている自分がものすごく情けなく、ふがいないからです。そんな自分を受け入れられない二重の苦しみで荒れています。その心を理解しようという思いで、親が接していくと、次第に子どもは荒れる必要がなくなります。
 私たちは子どもが荒れる意味がわかれば、受け入れることが出来るようになるのです。


17.涙は心のことば
 涙は心の言葉です。言葉に出来ない心の思いは涙になります。「泣きたいときは泣いていいんだよ」という気持で受けとめてあげてください。子どもは「泣けば親に心配かけるんじゃないか」と我慢すると、心に傷が残ってしまいます。子どもは涙を流して辛さを表しています。


18.自己肯定
 子どもたちが親や教師、社会や周囲の人たちの要求・期待に適うような"良い子"をしていると、いつの間にか人の要求に応えてしまう自分を育ててしまいます。自分がしたいことや、したくないことをはっきり言える「真の自己」がなくて、期待に敏感に反応する「偽りの自己」が育ちます。人から良く思われる「私」だけが、本当の「自分」なのではなくて、弱さやずるい心を持っている「私」も受け入れられるようにならないと本当の自分が掴めません。嫌なことは「嫌」と言える力を子どもたちの中に育てたいのです。親はそんな「真の自己」を子どもが取り戻せるように、いろいろな面を持つわが子をまるごと受け入れることです。


19.自分さがし
 親から言われたとおり生きてきたけれど、"本当の自分"がどこにいるのか分からない。大人たちの目の届かないところで悪さもやりながら、子ども同士で生き方を身に付けることが出来なくなりました。「自分は一体何をしたい人間なんだろう」ともがいて、子どもはそれを見つける時に様々な事をしてみます。と同時に、いろいろな人との出会いが大事です。自分を捜すとき、茶髪やバイクで暴走してみたり、突っ張った行動で表現することもあります。


20.自己決定
 自立した人間は自己決定が出来ます。だから、子どもが自分で判断して行動できる自己決定の力をつけることはとても大事なことです。
「学校に行くかどうかは自分で決めていいんだよ。自分の気持に正直に行動するといいよ」と伝え、自己決定の力を養っていけばその子らしい生活をするようになります。そうなると、自分が出来ることを選んで、音楽の時間は出るとか、保健室まで行くとかするようになります。「それが(自己決定)出来るのはすごいことなんだよ」と言ってやるのが本当の励ましです。
 また、「こうしなさい」と指示するのではなく、「こんな方法もあるけど?」と言葉をかけてやると子どもは考えます。「やらされた時」より「自ら決めてやった時」が次のエネルギーになっていきます。


21.甘え、甘やかし、物を欲しがる、どこまで受け入れたらいいのか
 子どもが「これを買って」と言った時、「買ってやるから学校に行くんだよ」と、交換条件で受け入れることが「甘やかし」です。子どもは物を欲しがりながら親の愛情を試しているのです。子どもが例えばパソコンなどを欲しがった時、「どうしてそれが欲しいの?」と聞いて、その上で家計の許す限りその求めに応えていきます。周りからは「甘やかし」と思われる行為ですが、心が弱り傷ついている子どもは、親の愛情を確かめたくて、物を要求しているのだと理解します。形ばかり受け入れたり、「あれはいいけど、これは駄目」などと親が判断すると、子どもは自分が全面的に受け入れられていると感じることが出来ません。
 「どこまで子どもの求めに応え続けるのか、もうそろそろ諭した方がいいのではないか」と不安になりますが、「どこまで」は子どもが決めることです。子どもの願いを受け入れているうちに、あまり物を欲しいと言わなくなります。


22.受容と許容
 受容とは、その子がそうせざるを得ない心の状態があるのだから、子どものありのまま(学校に行かない等)を理解しようとすること。そして「苦しいから、こうしているんだね」と心の状態を受け入れることです。
 「学校に行けないのなら、少し様子を見ながら待っていよう」は許容で、親の認められる範囲を越えたら「ここまで待ったのに、もういい加減にしたら」ということになります。子どもを理解して受け入れている訳ではなく、親の許容の範囲だからそれを認めているに過ぎないのです。
 私たちが学びながら身につけていきたいのは、あるがままの子どもを受容できる親になろうということでした。許容の気持でいると、子どもの話を聞く前に、「言おう、伝えよう」という気持が出て、親子の関係が窮屈になります。このような経験をして、「受容できる親になろう。まず子どもの話を聞こう」と、そう思える親に変わったときに対話が成立します。
その対話の中では意見が違って対立することも、親子だからあっていいのです。「あなたの気持はとてもわかる。わかりたいと思う。でもお母さんも正直に言いたい」と親の思ったことを話していいのです。子どもは自分の話を聞いてもらっていますから、カチンとくることがあっても聞く耳を持ちます。これが逆になると子どもには命令的な言葉として聞こえてくるのです。


23.共感
 苦しみやもがきを親がわかろうとする気持が子どもの心を癒す基本的な道です。子どもの心を感じ取って、「そうだよね」と共感してあげることです。親は安心させたくて「そんなに急がなくても大丈夫よ」と言ったりしますが、子どもは共感抜きの励ましに聞こえ、「わかっていない」と思ってしまいます。辛ければ辛いほど「大丈夫だよ」ではなくて、「辛いんだね」と共感できる親になることです。子どもの思いに寄り添うことによって子どもが「少しわかってくれた」と感じるのです。


24.見守るとは
 今、子どもにとって一番大切なのが"家の中に居る"ことだったら、ごく当たり前に「朝だよ」「ご飯だよ」「お風呂わいたよ」と、他の家族と同じように声をかけます。子どもの反応がどうであっても、それを大切にするという思いで話しかけていれば、子どもは見捨てられたとは思わないでしょう。
「家族が平穏で居られる」、「この場所に子どもが居たいだけいてくれればいい」、親がそう思えることが大事です。
 親は学びながら、子どもの心に近づく努力を重ねることが「見守る」ということです。


25.ただ聴く
 親は「言って聞かせることが大事だ」と思っています。言葉のかけ方一つで子どもは動くのではないかと思い、子どもの話を"聴く"ということがなかなか出来ません。どう言葉をかけるかではなく、大事なのは"聴く"ことです。子どもから聴いたことをしっかりと理解することです。「子どもが話し出すまで黙っていよう」という気持で側にいて待ちます。子どもは答えを聞きたくて話すのではなくて、自分の気持をただ黙って聴いてほしいのです。


26.待つ
 「いつまでまったらいいんですか?」と言いますが、そう聞く気持は待っていないんです。子どもは待ってもらっている気はしないのです。いつまで待てばいいのかは、誰も答えられないのです。
 待つ上で大事なのは、子どもが安心してわが家で過ごせることです。自分をさらけ出せるようになって、心の傷が癒えていったら、必ず動き出すと"信じきる"ことです。
待つということは、親自身が自分の不安を見つめて、子どもの心に近づこうとすることです。親同士の話や学びを通して自分の気持を整理してきます。
 親は一人では強くありませんから、待つ上で親仲間や理解者との支え合いが必要になります。


27.過去のとらえ直し
 子どもたちが本当に動き始めるのは「今までの自分の苦しみは意味のあることだったんだ」と、とらえ直しが出来た時です。
 子どもたちは、揺れつ戻りつします。だからいろいろな人と出会って、「今まで何を悩んでいたのか」を話すことによって、過去を整理して将来に向けて動き出せます。


28.動き出す時
 子どもが動き出したり、再登校した時、親は揺れます。親の会で学んでわかっていた筈なのに、「学校へ行くこと」が解決であるかのように、「さぁ、次は」と、子どもに期待の目を向けてしまい、その結果子どもは期待されても動けない状況になって、深い落ち込みを経験します。
 又、子どもが一歩外に出て、いろいろな人と付き合い始めると、それまで味わったことのない楽しさを経験します。
一方、親にとっては新しい不安となります。大事なのは"友だちの関係に、親は介入しない"という原則を守り、その上で"気にかかる事"を子どもにはっきり伝えていきます。


29.気にかかること
 子どもの安全や健康に関わることや、人を傷つける行為と思うとき、気になることを子どもに話すのは大事なことです。ただ、それを聞いてどうするかは、子どもが判断することです。


30.居場所
 心の傷が本当に癒えるためには、まず家の中に安心してゆったりと過ごせる雰囲気を作ることが必要です。子どもにとって家庭が一番の居場所です。
 子どもたちが動き出すためには、"今の自分でいいのだ"ということを感じさせてくれる居場所を必要とします。
 「家の居心地が良すぎて学校に行けなくなる」と言う人もいますが、そうではありません。安心して身を委ねられる親子関係があると、そこからエネルギーをもらって外へ出て行けるようになります。
 「フリースペース」のような居場所では、自分を受け入れてくれる友だちに出会い、深い悩みを共有することによって将来を考えるようになります。


31.第三の道
 学校か仕事かの二つの選択肢しかないというのでは、不登校の子どもには厳しすぎます。
 子どもは親の期待に応えようとして、社会に受け入れられない自分をどんどん追い詰めていきます。
 心が回復するまで自分を見つめて、進路をゆっくりと考えるという第三の道を、親の方で待つことです。


32.学力と社会性
 学ぶ力として大事なのは言語能力です。人の話を聞く力とか、自分の思いを表現する力、書物から知識を吸収できる力などです。それには親が子どもの話をよく聞くことです。そして「お母さんの話も聞いてね」という親子関係をつくることで子どもの聞く力は育ちます。いろいろな年齢の人の間で自分を表現できる子に育っていれば社会人として自立できます。


33.学校との対応
 感情的にならず、登校拒否について理解してほしいという思いをどう伝えるか工夫します。「登校拒否」について共に学んでいただくためにも、できたら一、二ヶ月に一度学校を訪ね、「家で子どもはこんなふうに過ごしています」と伝えます。父親も一緒に行って話す方がいいです。
親は先生から「もう、そろそろ登校させてはどうですか」と、促されると心が揺れます。先生の判断で、子どもに何かしてあげたいと思われたら、「子どもはどう思うのか」、親に聞いてほしいのです。親は学校との対応について、親の会や親仲間に相談して臨むと、ゆとりを持って話ができます。親は子どもの代弁者として、必要なことは勇気を持って伝え続けます。

先生に伝えるときに
1. 日常の行動を簡単にメモして伝えていく。
2. 本や通信から大事だと思うものをプリントして先生に届け、親の考え、要望などを率直に話す。
3. 子どもは学校に行きたいと思っているけれど、「行けない」のであれば、その気持を伝える。
4. 登校刺激はやめてほしいと言う。
5. きょうだいなどに連絡係や学校に行けない子の様子を聞くことはしないようにと伝える。
6. 子どもを見放していないというメッセージを届けてほしい。
7. 子どもが先生に会いたがらない時は遠慮しないで丁寧に断る。
8. 登校していない子どもの通知表の評価は「評定不能」としてもらう。
9. 再登校した時、子どものリズムを受け入れてもらい、マイペースで行き続けられる環境作りを担任と話し合う。

教師に言って欲しくない言葉
1.「がんばれ」などの励ましの言葉
2.「このままでは将来がだめになるぞ!」などの脅しの言葉。
3.きょうだい、友だちなどと比較する言葉。
4. 理由も聞かず、行動を「善し」「悪し」だけで否定するような言葉。
5. 人権意識に欠ける言葉。


母子登校
 母子登校は文部科学省も認めています。それを知らない学校もあります。低学年の子の場合、母親の支えがあれば不安が薄らいで登校出来ることもあるので、子どもが望むならば親子で登校していいのです。
幼児教育そのものが問われている時期なので、学校の新しい学習文化になかなか馴染めず、親がそばにいてくれると安心して学習に取り組めるという子がいます。お母さんが教室にいればいい場合もあるし、廊下とか保健室で養護の先生とお話していれば、安心していられる場合などといろいろあります。

スクールカウンセラー
 学校にスクールカウンセラーがいるのは、
1.不登校の子どもを受け持っている教師の相談にのるためです。
2.教師集団が対応に苦慮している子どもの事例をもとに、親や教師のあり方を語り合い、カウンセラーは助言します。教師は不登校で苦しむ子どもに何をすべきか、何をしてはいけないか学びながら、関わります。


34.義務教育の義務とは
 "子どもが学校に行く義務"ではありません。子どもの学ぶ権利を保障するために「親と自治体と国が義務を負っている」のです。義務教育の前提は子どもの発達し学ぶ権利です。


35.親が学ぶことで・・・親は
 学んで親が変わるということは、悩みや不安が無くなるということではありません。その不安や悩みと向き合って考えるようになることです。
 親の会で他の人の話を聞くことで、いろいろなことがわかってきます。親自身の気持が楽になります。それまでは「自分はダメな親じゃないか」「子育てが悪かったのではないか」と自分を責めていました。それは子どもに「自分は悪い子だ」と思わせることになりました。「子どものため」と親が思って何かやる時、学んでいると立ち止まって、"本当にそうだろうか"と、考える余裕が出来てきます。いい親であろうとすることよりも、親自身が感じる不安や苦しみを見つめられる自己を育てることが大事です。


36.母親が働くこと
 仕事を辞めた方がいいかどうかは、子どもの苦しみや、今、親に何を求めているのかをよく理解した上で決めます。結果として仕事を辞める場合もあり、又は仕事を続ける場合もあります。子どものためという気持では辞めない方がいいのです。それは子どものプレッシャーになります。
 自分の生き方として、仕事を辞めるかどうか考えないと、後から「こんなはずじゃなかった」という思いが出てきます。


37.「登校拒否を考える」とはどういうことか
 私たちは国の教育政策に無批判なまま、わが子を学校に委ねていたことに気づきました。学校を人間として育つ場に変えていかなければなりません。
 わが子を理解することと、今の教育そのものを変えるために努力するという二つの視点を持たないと、本当に子どものためにやっていることにならないのです。
 子どもは子ども集団の中でしか自分自身を育てられないので、親たちは地域に子どもたちの仲間作りをしていく必要があります。
 義務教育で当然の権利として受けるべき教育を受けることが出来ない子どもたちに、何等かの形で教育を保障してほしいという要求は、全国の登校拒否の親の会の中で大きな声となっています。
 私たちも当然の要求として訴えていかなければならないと思います。
 親の生き方として何か出来ることはないかと"考え、行動する"ことが大事です。

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